親父と飲んだ最初で最後の居酒屋のビールの味~桜BARお酒の席のお話~

僕には姉と妹がいて、1歳から20歳になるまで義父と実母に育ててもらいました。

そんな義父は、「男だから」と言っていつも自分にだけ厳しかった。

僕は中学2年生になった時、そんな厳しい義父を嫌いで家に帰らなかったり反抗したりと手に負えないくらいの不良になりました。

そんな僕を義父は見捨てることもせずに真向から向き合ってぶん殴って止めてくれました。

義父は「不良やってる暇があるなら仕事して遊ぶ金を稼いでから遊んだ方がおもしろいぞ」と言って次の日から義父の経営している建設業の会社に僕をバイトとして雇ってくれました。

僕はバイトをしながら、義父の言われるがままに高校も卒業させていただきました。

どうしようも無かった自分を本気で叱って、本気で仕事を教えてくれた義父を月日が経つ毎に「嫌い」が「尊敬」に変わっていきました。

高校を卒業して僕は、建設の会社に就職をして部屋を借り独り立ちしました。

20歳になり母親から突然電話があり、「義父と離婚しました」とだけ伝えられショックを受けました。

離婚するのは、勝手だが義父の連絡先を母親に聞いても教えてくれませんでした。

母親に会うたびに義父の連絡先を聞くようになり、何年経っても教えてもらえませんでした。

僕は28歳になる時に、結婚をして第一子が誕生しました。

そんな時に母親が「パパの連絡先を教える」と突然言い出しました。

僕は連絡先を聞くなりすぐに義父に連絡をすると「俺のいるところに来て仕事手伝わないか?」と言われ行く決断をしました。

義父は昔から酒が好きだったので再会する時は居酒屋で会うことにしました。

再会した時に口下手な義父は「デカくなったな」とだけ言って黙ってビールを飲んでいました。

そんな僕はどこで何をしていたのかを聞いても「仕事だ」とだけ言ってまたビールを飲んでいました。

「昔は僕が子供だったから一緒に飲めなかったけど酒を飲むの初めてだな」と言うと、義父は僕の息子を見て「お前が俺の息子でよかった」と言ってくれました。

僕はその時は、意味がわかってなかったけどとても嬉しかったです。

後日、義父が突然「明日から入院するからな」と言って理由を教えてもらえずに1か月の入院をしていました。

退院祝いで同じ居酒屋に義父を連れて行くとその日は、ビールを飲みませんでした。

「なぜ飲まないのか?」と聞くといつも口数の少ない義父は淡々と話しだしました。

母親と突然離婚した理由、今まで連絡を取れなかった理由、酒を飲まない理由をすべて聞きました。

義父は母親と離婚する時から体調が悪く、検査をした時に肝臓ガンだとわかったそうです。

そして治療できるかどうかわからないから、もし死んだ時に家族の泣く顔を想像したくなかった。

5回の手術を繰り返し、6回目が体力的にも最後のチャンスだったから、「もしダメでも最後に1回でいいからお前と飲みたかった。」と言われました。

最後に義父は「酒はもう一緒に飲めないけど、お前と孫の成長をもう少し見ていられるようになった」と言われた事が、酒の席での一番の嬉しかった出来事です。

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