「見てくれている人が必ずいる」と思った話し~桜BARお酒の席のお話~

当たり前の仕事

忘年会をしていた時の事です。

中盤に差し掛かり、私はトイレに立ちました。

戻って席に着くとすぐに隣に普段は話さない上司(直属の上司ではなく、隣の課の上司)が座ったので何事かと思い緊張していると「ちょっと話してもいい?君は誰よりも早く電話に出て来客にも対応してその他の仕事も早いよね。掃除をするところもよく見かけるし。何でそんなに人が嫌がる事を率先してやるの?」と言われました。

この言葉に私は逆に驚きました。

電話も来客も掃除もみんなが嫌がる仕事だったんだと初めて思ったのです。

電話が鳴れば3コール以内に出るのは当たり前だと思っていましたし、来客は待たせてはいけないですし、掃除は自分が使うデスクを拭くのはもちろんですが、床を掃いたり埃が溜まっていたら拭いたりする程度です。

社会人になった時の研修で当たり前の事として習った私は何も疑問を持たずやっていたので、びっくりしたのです。

その事を上司に伝えると「そうなんだね。これからもよろしく頼むね。ありがとう。」と言って席を立ちました。

人はよく見ているものだなと思うと同時に嬉しい出来事でした。

初めての酒宴で人生最初で最後と思った大酒飲み会~桜BARお酒の席のお話~

ウイスキーの水割り

私の実家は、東京都の島なので、小さい頃から酒盛りがよく開かれました。

成人式は、正月に合わせて帰郷する二十歳ぐらいの子に合わせて、3日に行われます。

私が日立で成人式に出たころも、久々に顔を合わせた旧友たちと喜びあったものです。

しかし、そこで終わらないのが島根性です。

まず公的な酒宴で村長【その村長は、翌朝、初出勤で役所の職員を前に挨拶しなければならないのですが・・・】を潰し、二次会では、新成人たちが、それぞれの出身校別に集まり、そして最後に親戚たちが家に集まります。

私のときは同級生に従姉妹2人いたので、合同酒宴になりました。

ワイワイして、終盤に祖父が孫3人にウイスキーの水割りを作ってくれたのですが、それが移乗に濃く、コレが大人の飲み方なのかと思いながら、もうお酒は一生分のんだナと感じました。

翌日、寝不足で出勤する親戚たち(公務員)は、新年の村長挨拶を同情の目できいたと聞かされ、いい初笑いができたと喜びました。

祖母と初めてのカウンター席。居酒屋の店、すみれ~桜BARお酒の席のお話~

カウンター席

私は、初めて祖母と夕食を食べに行った話です。

めったに一緒に晩御飯を食べたことがない祖母がこの日は一緒に食べに行ったのです。

カウンター数名、ほか四人席1つの小さなお店です。

外から中が見えずらいので、入るのに勇気が要るかも。

脱サラした高知出身の澄子女将が一人で取り仕切る 小料理居酒屋さん。

行った店は一見普通のスナック屋さんですが、そこの女将さんがとても優して色々とサービスしてくれました。

煮物、メインディッシュ、酢の物など普通の家庭で出てくる物ばかりでした。

その店は、ほぼカウンター席でしかない店でもちろんお酒もあります。

何気も無い感じでそこの女将さんと会話したりして盛り上がるほどでした。

女将さんの話によると「コロナ前によるとお客様の数がかなり差があって特にサラリーマンの方やお子様連れの家族だったり来るよ」っと 言ってくれたりしました。

是非気になる方は、絶対に行った方が良いです。

また、祖母とそこに立ち寄っていきたいです。

偶然の出来事というのは、意外と日常の中にある~桜BARお酒の席のお話~

偶然友人と会う

女の子の友達と飲み会をすることになり、お酒好きの飲み友達におすすめのお店をいくつか紹介してもらった。

飲み会当日、予定していた女の子達とお店で楽しく飲んでいると、聞き覚えのある声が違う席から聞こえてきた。

まさかとは思ったがよく見ると、なんとこのお店を紹介してくれた友達が別の席に座って飲んでいた。

私は思わず嬉しくなって声をかけた。

女の子の友達にも許可をとり、一緒に飲むことになった。

最後は私たちのテーブル分までおごってくれた。

このお店に来る日にちも時間も教えてくれた友達には伝えておらず、その友達もたまたま別の友達と飲みに来ただけだった。

偶然という言葉は知っているが、こんな偶然があってとても嬉しい出来事だった。

しかも、その友達は年に数回しか会えなく、仕事の関係で遠方に住んでいるので地元で出会えたのもまさに偶然だった。

偶然は必然とよく言うが、何か私たちを引き合わせてくれたこの瞬間に感謝したいと思う。

親父と飲んだ最初で最後の居酒屋のビールの味~桜BARお酒の席のお話~

父親

僕には姉と妹がいて、1歳から20歳になるまで義父と実母に育ててもらいました。

そんな義父は、「男だから」と言っていつも自分にだけ厳しかった。

僕は中学2年生になった時、そんな厳しい義父を嫌いで家に帰らなかったり反抗したりと手に負えないくらいの不良になりました。

そんな僕を義父は見捨てることもせずに真向から向き合ってぶん殴って止めてくれました。

義父は「不良やってる暇があるなら仕事して遊ぶ金を稼いでから遊んだ方がおもしろいぞ」と言って次の日から義父の経営している建設業の会社に僕をバイトとして雇ってくれました。

僕はバイトをしながら、義父の言われるがままに高校も卒業させていただきました。

どうしようも無かった自分を本気で叱って、本気で仕事を教えてくれた義父を月日が経つ毎に「嫌い」が「尊敬」に変わっていきました。

高校を卒業して僕は、建設の会社に就職をして部屋を借り独り立ちしました。

20歳になり母親から突然電話があり、「義父と離婚しました」とだけ伝えられショックを受けました。

離婚するのは、勝手だが義父の連絡先を母親に聞いても教えてくれませんでした。

母親に会うたびに義父の連絡先を聞くようになり、何年経っても教えてもらえませんでした。

僕は28歳になる時に、結婚をして第一子が誕生しました。

そんな時に母親が「パパの連絡先を教える」と突然言い出しました。

僕は連絡先を聞くなりすぐに義父に連絡をすると「俺のいるところに来て仕事手伝わないか?」と言われ行く決断をしました。

義父は昔から酒が好きだったので再会する時は居酒屋で会うことにしました。

再会した時に口下手な義父は「デカくなったな」とだけ言って黙ってビールを飲んでいました。

そんな僕はどこで何をしていたのかを聞いても「仕事だ」とだけ言ってまたビールを飲んでいました。

「昔は僕が子供だったから一緒に飲めなかったけど酒を飲むの初めてだな」と言うと、義父は僕の息子を見て「お前が俺の息子でよかった」と言ってくれました。

僕はその時は、意味がわかってなかったけどとても嬉しかったです。

後日、義父が突然「明日から入院するからな」と言って理由を教えてもらえずに1か月の入院をしていました。

退院祝いで同じ居酒屋に義父を連れて行くとその日は、ビールを飲みませんでした。

「なぜ飲まないのか?」と聞くといつも口数の少ない義父は淡々と話しだしました。

母親と突然離婚した理由、今まで連絡を取れなかった理由、酒を飲まない理由をすべて聞きました。

義父は母親と離婚する時から体調が悪く、検査をした時に肝臓ガンだとわかったそうです。

そして治療できるかどうかわからないから、もし死んだ時に家族の泣く顔を想像したくなかった。

5回の手術を繰り返し、6回目が体力的にも最後のチャンスだったから、「もしダメでも最後に1回でいいからお前と飲みたかった。」と言われました。

最後に義父は「酒はもう一緒に飲めないけど、お前と孫の成長をもう少し見ていられるようになった」と言われた事が、酒の席での一番の嬉しかった出来事です。

自分が思うよりも他の人は見ていてくれている~桜BARお酒の席のお話~

仕事の仲間

自分は二人の子どもを育てながら派遣で事務職として働いています。

子どもというのは、思いもよらないときにけがをしたり、熱を出したりするもので、急に仕事を休んだり早退しなければならないこともあり、職場の皆さんには迷惑ばかりかけていると思って反省していました。

コロナが落ち着き始め、本当に何年かぶりに職場の歓送迎会が開かれることになり、夫に子どもを預けて参加してみました。

いつも皆さんにご迷惑をおかけしているお詫びを申し上げますと、「お子さんがいても、家庭と仕事を両立させるために、いつも効率的な仕事のやり方を考えたり、集中して仕事をしている姿勢に感心しています。」というメッセージをくださった方がいました。

「自分が毎日の仕事の中で工夫して行っていることは、とても小さなことでも、見てくれている人はいるのだな」と思い、とても嬉しくなったと同時に、良い職場と巡り会えたことに心から感謝したうれしい飲み会の場となりました。

裏路地にポツン。心優しいお店の店員さんの気遣い~桜BARお酒の席のお話~

お祭り

20歳になって半年過ぎた夏の話です。

県内でも有名なほどに大きなお祭りがあってそこに行くために彼氏と出かけた。

しかし、あまりにも人が多過ぎて屋台でご飯食べることも諦めた。

何もせずに帰ろうかと話してると、屋台が出てる道を少し外れたところに小さな居酒屋があった。

なにもせずに帰るのはもったいないと思ったので、そこの居酒屋に入った。

店員さんもすごく気さくな方が多く、席に案内する前にお水を提供してくれた。

5分ほど経ち、席に案内された。

メニューもたくさんあり、値段もそれほど高くなく、土地の割には安いことに関心した。

すると店員さんが頼んでいない品物を持ってきた。

「頼んでいないです」と伝えると、『お祭り混んでて楽しめなかったですよね。これは私からのサービスです。』といい、お刺身の造りをもらった。

メニューにもある商品で800円ほどした。

さすがに申し訳ない時思い「払います。」と伝えたが、『お祭りで楽しめなかった分ここで楽しんでください』と言われ心がすごく暖かくなった。

物静かな夫の嫉妬から忘年会で再燃した夫婦の愛~桜BARお酒の席のお話~

夫の意外な一面

私は結婚当初から夫の夢でもあった飲食店を一緒に営んでいます。

開店当初からお世辞にも流行っているとは言えない状況でした。

それに加えコロナ禍に突入した時はとても苦しい日々。

夫は何とかお店を維持させたくて仕事に没頭。

夫婦のことは二の次といった感じの夫に私は寂しく不満をぶつけることが多くなりました。

世の中が落ち着いてきた頃、日常が戻ってきたことでお店も少しずつ認知され、有難いことに常連さんも増えました。

しかし、少しずつ出来た2人の溝は改善されることは無く夫婦というよりはビジネスパートナーのような存在に。

仲が悪いわけでもないが、周りの仲良し夫婦を見ると羨ましくて…私にとっては酷く辛い日々でした。

そんな時、お店の常連さん達と忘年会をしようということになりました。

1次会で美味しいご飯を食べ、2次会でカラオケバーへ。

みんなお酒をたくさん飲み楽しい時間を過ごしました。

中には酔っ払った方もたくさんみえ、お酒が苦手な私は自然とみんなを介抱する役割に。

そんな時1人の男性常連客が酔った勢いで私に抱きつきました。

飲み会ではよくある光景ですよね。

仲良くさせてもらっているお客様だったこともあり、嫌な顔することもなく介抱しその場は楽しくお開きに。

みんなとバイバイし夫婦で家まで歩くことに。

すると突然夫が手を繋いできたのです。

夫から手を繋がれることなんてもう何年も無くとても珍しいことでした。

どうやら別の男性に抱きしめられた私の姿を見てやきもちを妬いたみたいです。

日頃から物静かで何を考えているか分かりにくい人ですが、そんな夫の意外な一面を見られてお酒の場も悪くないな、と思った出来事でした。

おじさんのまだ間に合う、第ニの青春で花咲そう~桜BARお酒の席のお話~

女性からの好意

会社の忘年会の二次会での出来事です。

第二の青春を思わせる様な出来事がありました。

当時、40歳の私は中年のおじさんで、恋愛感情なんてまったく関係のない存在。

毎日、ただ仕事して、何も目標も無く生活していました。

その年に入社した20歳の女性と忘年会の二次会でいろんな事を話していると、酔っていたのか急に好意があると伝えられました。

そんな経験はまったく無く、しかも20も年が離れいるのにそんなことがあるはずないと思っていました。

もちろん、私には妻も子供もいます。

ただ酔った勢いで言われたと思っていましたが、その日以外でも連絡をとるようになり、ゴルフに行ったりしました。

ある日の夜勤をしている時に急にその子が現れて、再度好意があると伝えられました。

しかし私には妻も子供もいます。

さすがにその子の気持ちに応える事はできませんでした。

その後も上司として接していましたが、いつのまにか私よりも4つ年上のおじさんと交際してました。

正直、ショックでしたが、久しぶりのドキドキに酔いしれた良い思い出です。

先輩からの飲み会の誘いを嫌々ながら参加したらまさかの運命出会い~桜BARお酒の席のお話~

気になる人との出会い

私は既婚者で子供にも恵まれ、ごくごく普通の家庭ではありますが幸せな家庭を築きました。

最近はあまり飲み会に参加することもだいぶ少なくなりました。

以前は大きめな会社に勤めたこともありかなりの頻度で飲み会はありました。

その中でもあまり気乗りしない飲み会が先輩から誘われる飲み会です。

とにかく話が長いし、最後は説教みたいになってしまい参加してる同僚も苦痛を感じていたと思います。

しかし、同じ先輩ですが、参加した飲み会で運命が変わったのです。

その飲み会は男性女性が入り混じった今でいう合コン、もうこれも言わないかもですが、とにかく当時私は独身で彼女とも別れて数か月経ってました。

そういう寂しさから、この飲み会が楽しくて二次会も店内の暗めのバーで飲んだのですが、人数も多かったので体の密着が幸せでした。

ただ、その日はそこでお開きになり、気になった子の連絡先を聞きたかったのですが聞けずじまいでした。

ただ奇跡が起きました。

携帯を店に忘れてしまった私は次の日にお店にとりに行きました。

するとその気になってた子からメールが来てたのです。

どうも先輩が教えてくれたみたいです。

その気になった子が今の妻です。

とても運命を感じる飲み会でした。